運命(さだめ)

裂け谷の季節はめぐり、秋が過ぎ、冬が来ようとしていた。
闇の森のエルフ王である父スランドゥイルの命で、裂け谷滞在中の幼きレゴラスは、数々の国や自然の歴史を教えてくれるエレストール、遙か西のエルフの大地の話や己の武勇伝を語り聞かせてくれるグロールフィンデル、ノルドール、シルヴァンなどのエルフの歴史を話してくれるエルロンド、毎日違う場所へ連れて行ってくれるエルラダン、エルロヒアにより日々その知識を増やしていた。
 彼らはその知識と武術を惜しみなくレゴラスに分け与えた。
 木の葉が紅葉し終えて、冬の風に舞い落ちはじめる頃、近くを南の海へ向かって渡り鳥が飛んでくる。いつもならそれを眺めるだけで見逃すのだが、今年は少し事情が違った。
 散歩に出かけていたエルラダン、エルロヒアが翼を傷つけて飛べない渡り鳥の子をひろってきたのだった。
 まずレゴラスが小鳥に惹かれ、傷が癒えるまで自分が世話すると言い出した。エルロンド卿も彼が他の動物たちと関わるのは良いことだと思っていたし、動物の治癒力をあてにしてもいた。心配性のエレストールやグロールフィンデルでさえ、何も言わ
なかった。
 時は流れ、年が明けた。寒さはいっそう厳しくなり、雪も見えるようになった。
 主にレゴラスによって育てられた小鳥は、傷は癒えぬまでも元気に生き延びていた。エサをついばみ、手のひらに乗り、首をかしげて鳴く様はレゴラスをさらに熱中させた。
 その陰でエルロンドやエレストールは、小鳥の傷の治りが遅いことを心配しはじめていた。この短い冬を飛べない翼で生きてゆけるのか。たとえ春が来ても、レゴラスからエサをもらった記憶がある限り、野生には戻れないだろう。それでも毎日必死に世話をし、今日はこんな事があった、と息せき切って話す彼の気持ちを無にしたくなかった。たとえ彼が傷ついたとしても、永いエルフの人生で必ず良い経験になると
思っていた。
 そんなある日、エルロンドの部屋へレゴラスが駆けてきた。
「エルロンド卿!。さっき、小鳥が飛んだのです。傷はまだ治っていないけれど、そ
れでも!」
 それはとても”飛んだ”などと言える羽ばたきではなかったけれど。
 その様子にエルロンドは、不安を話さなくて良かったと心から思った。

 小鳥が裂け谷に迷い込んで初めて空を飛んだ日から数日。裂け谷を稀に見る大雪が襲った。月の翳った、暗い夜のことだった。
 皆が館に避難した頃、レゴラスは一人、小鳥を探していた。
 まだ飛べないのに、何処へ行ってしまったのだろうか。
 館からほど近い林の中に小さなその姿を見つけるまでに、彼の手足は冷え切っていた。傷つけないように優しくそっと抱え上げる。
 生きているものの体温がない。
 小鳥は、いつも守ってくれる者の姿を認め、数回弱く羽ばたいた後、その鼓動を止めた―。
 涙は出なかった。理解はあったが、実感はなかった。
 そのとき後ろで足音がした。
 彼にはそれが誰であるか、振り向かずともわかっていた。
「小鳥が動きません」
 足音が止まった。
「レゴラス…」
 裂け谷の主がそこにいた。
「一生懸命…世話をしました。ちゃんと…守ってあげました。でも、…死んでしまった。運命だったとでも言うのですか」
 実感はなかったが、理解はあった。ただ歴然と、悲しみとしてそこにあった。
「そう…、死はどの種族にも巡ってくる運命(さだめ)。我らは数少ない例外に過ぎないのだ。しかし鳥はそなたに守られていた間、とても幸せだったと思うぞ」
 エルロンドはどうにか彼を泣かさぬように、言葉を選びながら諭した。
 レゴラスは林の中でより良い場所を選んで雪をかき分け、小鳥の為に穴を掘った。冬でも咲く花を探して、数滴の涙とともに埋めた。
 白い雪がゆっくり重たく舞い降りて、冷たい墓を包んだ。
 優しく照らしてくれた月が沈み、朝日が昇った。太陽が天に昇りきっても、彼は墓に選んだ小さな石の前を動かなかった。辺りがかげりはじめた頃、ようやく彼は長い追悼の祈りを終えて立ち上がった。
 エルロンドはその間ずっとレゴラスを見つめていた。
 館の敷地のはずれの林を、祈りよりも長い沈黙が包んだ。
 そのときレゴラスの心に去来した悲しみは、果たしてこの先何かの役に立つことがあるだろうか。
 エルロンドも今回ばかりは選択を間違えたかと思った。けれど…。
「今までつきあってくださってありがとうございました。でももう、大丈夫です」
 その毅然とした態度にエルロンドは少なからず驚いた。今まで子供と思い可能な限り優しく接して来たつもりだったが、レゴラスもきちんと王の子供としての教育を受けているはずだ。そんな優しさなど不要だったのかも知れない。
「では、そろそろ館に戻るか」
「はい」
 エルロンドは軽くレゴラスの背を館に向かって押した。
 二度昇ってまた沈んでいく月が、溶けかけた雪に反射して辺りを静かに照らしていた。


 

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